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仙台真田氏と片倉小十郎の旅(4) オレの寺!当信寺 [-2018旅行・地域]

初代片倉小十郎景綱の功績は先のとおり
その子、2代目小十郎重綱(のちに重長と改名)も、
父親譲りの文武の名将であったらしく、
大阪の陣には病床の景綱に代わり政宗に同行し、
先陣として武功を立てたその戦いぶりから「鬼小十郎」と称された。
(ちなみに景綱は夏の陣の後の秋に59歳で没)

さて、真田幸村が討ち死にし、長男 大助も自害して果ててしまい、
幸村の血を受け継ぐ男子は、幼少の次男 大八ただ1人となった。
徳川に歯向かい、家康の命を脅かした幸村は決して許されない罪人であり、
その血を受け継ぐ男子 大八も生かしておかれる存在ではなかった。

そんな男子を匿えば、罪に問われて藩の取りつぶしは必定である。
にもかかわらず、幸村は政宗と重綱に男子の命運を託し、
政宗と重綱は幸村の遺志を汲み取って大八を匿った。
その理由は、
「敵方として重綱と実際に戦った幸村がその姿に感銘を受けた」、
「徳川も一目置く伊達家の力を頼った」
「片倉氏と真田氏は同郷の出身で、古くから交流があった」、
など諸説あるようだが真相は遠い歴史の彼方だ。
何はともあれ「英雄は英雄を知る」の世界であることは疑いなかろう。

幸村討ち死にの前夜に、まず1人目として娘 阿梅が、
大阪落城後に大八と残る3人の娘が伊達家の元に送り届けられた。
そして重綱が治める白石で暮らすことになり、
「幸村公の姫君は片倉家でお預かりしている」と天下に知らせて、
白石城で堂々と育てられた。
しかし姉たちとは反対に大八が白石に居ることは、
伊達家秘中の秘として城外でひっそりと育てられたのだ。

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そんな徳川に目をかわすために、
政宗と重綱が行ったと考えられる偽装工作。
① 「大八は京都で7歳で死亡」という偽情報を世間に広める。
② 徳川に仕えた真田信尹の次男に『政信』という架空の人物がいたことにする。
③ 政信の男子として『真田守信』を挿入。

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大八はやがて成人し真田守信として伊達家の家臣となったが、
守信の出身について幕府が疑いをかけたことから姓を片倉にして、
以後、守信は生涯真田姓を名乗ることは叶わなかった。

その後、念願の真田複姓が叶ったのは、守信の子 辰信(ときのぶ)の晩年で、
実に幸村討ち死にから97年後のことであった。
そして幸村の血統は仙台真田氏として現在まで至るのである。


・・・まったく、歴史浪漫に号泣だぜ 。゜(゜´Д`゜)゜。。。。

詳細は「歴史解説 仙台真田氏」を参照下され (^^)/
  → 幸村遺児、片倉氏に依る
  → 仙台真田氏の誕生

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ちなみに阿梅はその後、片倉重綱の後室となった。
その阿梅の菩提寺が当信寺であり、片倉守信の墓もあるのだ。
  → 功徳山 当信寺

オレは前からそれを知っていたので、いつかは参拝だ!
と訪問機会を長く伺っていた気がするが、
その念願がついに叶うとなれば、ちと興奮 ヽ(゜Д゜)ノハァハァハァ


山門は旧白石城の二の丸大手二の門、通常東口門といわれていた。
旧白石城の遺構を伝える数少ない建造物だ。

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その横を通り境内入場だが、
本堂と同じくらいに隣の民家が大きくてアットホーム感が・・・(T_T)

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天保2年建立の本堂を外から合掌 <(_ _)>

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さてお目当てを探すと、右手から裏手へ至るようだ。

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長年の念願で高鳴る期待感でわくわくと進むが、
境内はまったく狭くて、オレの勝手な想像と異なりぐわわぁあ~ん (T_T);;;
まるで獣道か!と思う道を程なく辿り着いた時には、やはり興奮だ ヽ(゜Д゜)ノ

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姉と弟が仲良く寄り添っている。
左の頬ずえをして瞑想している石仏が阿梅の墓で、
右が片倉守信=真田大八の墓だ。

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大八は真田お馴染みの家紋の六連銭ではなく、
「結雁金(むすびかりがね)」とし、以後仙台真田氏が用いたが、
墓石には一文銭が刻まれているは、
当時のその辺の複雑な事情を伺わせる。

大八は59歳で没。
阿梅は78歳で没。

数奇な運命を辿った両名に深く合掌だ <(_ _)>

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となりにあった謎の「白石老人」の墓。
なんか仙人のような伝説の域を出ない説明が、ちと気になったりして・・・。

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寺には阿梅の遺品も伝わるが非公開。

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ご本尊の阿弥陀如来も秘仏ゆえに観られない。
また、奈良の大仏様ゆかりの貴重な仏像もあるが観られない。

・・・う~む (-_-)

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真田ファン垂涎の歴史浪漫の一級伝承場所と長く勝手に想像していたが、
実にこぢんまりしていて拍子抜けの感は否めない (ノД`)
んがまぁ、オレの身勝手な気持ちの問題であり、事実はそこに在りでヨシだ。

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周囲に駐車場が無かったので市役所近くから、
散歩がてらに市内をトボトボと歩き、町の香りを伺ったがまことに静かだ。
オレが住む近くの町では長井市という感じかな?

29.JPG

しかし同地を古には大八、阿梅も、伊達政宗、片倉小十郎も歩き、
建物は代わろうとも、山々や川は同じ景色を眺めたことであろう。
そして蔵王連峰から吹き下ろす風の香りも・・・

・・・ぬぁ~んて、オッさんひとりでロマンチックぅうう (^^)d     (つづく


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