SSブログ

オレの城!亘理要害(臥牛城) [-2018旅行・地域]

伊達政宗は優秀な家臣団に囲まれ、
筆頭が文武に秀でた片倉小十郎景綱だが、
伊達成実(しげざね)も同じく文武の名将だ。
名作シリーズ「信長の野望」では、
どちらかというと武の猛将イメージだ。

兜の前立がムカデ・毛虫なのは、
それらの前に進むのみの習性のように、
「戦場では一歩も引かん!」
という決意の表れらしい=猛将決定打。

69.jpg

そんな伊達成実の領地は、
片倉景綱が白石へ移った後の亘理だ。
仙台防衛のために奥州街道を片倉景綱が、
浜街道を伊達成実が配置されたのだろう。
その宮城県亘理町はココ!


その居城の亘理要害は亘理城、臥牛城といい、
現在本丸後には成実を祭った亘理神社がある。

41.JPG


42.jpg

伊達稙宗の十二男で、
亘理氏に養子に入った亘理元宗が築き、
亘理氏の居城を小堤城(現在の大雄寺付近)から移した。
亘理重宗が天正19年(1591年)涌谷城に移った後、
片倉景綱が城主となった。
慶長7年(1602年)片倉景綱は白石城に移り、
伊達成実が城主となった。
成実は亘理城を改修し、城下町の建設に着手した。
一国一城令の後、亘理城は亘理要害と称された。
幕末まで亘理伊達氏が城主として、
亘理郡と宇多郡の一部を治めた。
明治元年(1868年)戊辰戦争に敗れた、
仙台藩の降伏式はこの地で行われた。
明治3年(1870年)亘理伊達氏の北海道移住、
(現在の伊達市)に伴い、
建物などは払い下げることになった。

43.JPG

市民憩いの場として遊具の公園が。

44.JPG

地元の謎の名士の銅像も。

45.JPG

46.JPG

47.JPG

そして神社へ参拝。
「長年の念願が叶い参上しました」
ペコペコ・パンパン・ペコ <(_ _)>

48.JPG

49.JPG

社殿背後には土塁跡と忠霊碑などが。

50.JPG

その先の馬場跡には亘理高校が。

51.JPG

左右非対称の鳥居だ。

53.JPG

54.JPG

かつての裏門、詰門に、
現在は道が切られている。

55.JPG

南側にはかつての内堀が残っている。
それがなぜ牛タン沼と云われるのかは不明。

56.JPG

その南側に大手門があったとのこと。
目を閉じれば・・・うむ、見えるぞよ d(-_-)

57.JPG

東側の二の丸跡は大手スーパーが。

59.JPG

仙台伊達の英雄 成実も片倉景綱も、
かつてこの辺りをウロウロしたことだろう ♪
と妄想するだけで十分満足だ v(^o^)v

60.JPG

さらば亘理要害!またいつか来るぜ (^^)/


さて次は亘理駅隣接の町立郷土歴史館と、
図書館の悠里館へ行ってみる。


堂々たる外観がマニアにはGood(^^)v
リキ入っているなぁ~!
  → 悠里館の四季風景

62.JPG

63.JPG

1階の郷土歴史観は亘理町の歴史、風俗と、
伊達家の紹介がピリリと琴線に触れる。
いつものように訪問記念に冊子を、
“ いつものように ” 2冊購入だ。
(いつも見てくれている人はその理由が判るよね?)

64.JPG

そんな成実が記した『成実記』は内容が深く、
文の教養もひとかどだったことを伝える。
ゆえに『成実記』は伊達政宗の一級資料とか。
館内には複製本も展示されておりますた。

まずは、そんな文武の名将
伊達成実をしかと承った <(_ _)> d(^^)♪

65.JPG

さて悠里館脇はJR常磐線。
軽く鉄道ロマンスイッチも入る。

66.JPG

この亘理駅は遙か東京まで続く。
(H28.8月現在一部不通だが)
常磐線の日暮里、北千住駅が、
ふと思い起こされる・・・妄想、瞑想、迷走。
  → 青春18きっぷの旅2013(1) 小国→草加

67.JPG

当日雨は残念であったが、
しっかりと脳天気で薔薇色であったかも ♪

次は歴代藩主の菩提寺へGO!


nice!(0)  コメント(0)