オレの城!亘理要害(臥牛城) [-2018旅行・地域]
伊達政宗は優秀な家臣団に囲まれ、
筆頭が文武に秀でた片倉小十郎景綱だが、
伊達成実(しげざね)も同じく文武の名将だ。
名作シリーズ「信長の野望」では、
どちらかというと武の猛将イメージだ。
兜の前立がムカデ・毛虫なのは、
それらの前に進むのみの習性のように、
「戦場では一歩も引かん!」
という決意の表れらしい=猛将決定打。
そんな伊達成実の領地は、
片倉景綱が白石へ移った後の亘理だ。
仙台防衛のために奥州街道を片倉景綱が、
浜街道を伊達成実が配置されたのだろう。
その宮城県亘理町はココ!
その居城の亘理要害は亘理城、臥牛城といい、
現在本丸後には成実を祭った亘理神社がある。
伊達稙宗の十二男で、
亘理氏に養子に入った亘理元宗が築き、
亘理氏の居城を小堤城(現在の大雄寺付近)から移した。
亘理重宗が天正19年(1591年)涌谷城に移った後、
片倉景綱が城主となった。
慶長7年(1602年)片倉景綱は白石城に移り、
伊達成実が城主となった。
成実は亘理城を改修し、城下町の建設に着手した。
一国一城令の後、亘理城は亘理要害と称された。
幕末まで亘理伊達氏が城主として、
亘理郡と宇多郡の一部を治めた。
明治元年(1868年)戊辰戦争に敗れた、
仙台藩の降伏式はこの地で行われた。
明治3年(1870年)亘理伊達氏の北海道移住、
(現在の伊達市)に伴い、
建物などは払い下げることになった。
市民憩いの場として遊具の公園が。
地元の謎の名士の銅像も。
そして神社へ参拝。
「長年の念願が叶い参上しました」
ペコペコ・パンパン・ペコ <(_ _)>
社殿背後には土塁跡と忠霊碑などが。
その先の馬場跡には亘理高校が。
左右非対称の鳥居だ。
かつての裏門、詰門に、
現在は道が切られている。
南側にはかつての内堀が残っている。
それがなぜ牛タン沼と云われるのかは不明。
その南側に大手門があったとのこと。
目を閉じれば・・・うむ、見えるぞよ d(-_-)
東側の二の丸跡は大手スーパーが。
仙台伊達の英雄 成実も片倉景綱も、
かつてこの辺りをウロウロしたことだろう ♪
と妄想するだけで十分満足だ v(^o^)v
さらば亘理要害!またいつか来るぜ (^^)/
さて次は亘理駅隣接の町立郷土歴史館と、
図書館の悠里館へ行ってみる。
堂々たる外観がマニアにはGood(^^)v
リキ入っているなぁ~!
→ 悠里館の四季風景
1階の郷土歴史観は亘理町の歴史、風俗と、
伊達家の紹介がピリリと琴線に触れる。
いつものように訪問記念に冊子を、
“ いつものように ” 2冊購入だ。
(いつも見てくれている人はその理由が判るよね?)
そんな成実が記した『成実記』は内容が深く、
文の教養もひとかどだったことを伝える。
ゆえに『成実記』は伊達政宗の一級資料とか。
館内には複製本も展示されておりますた。
まずは、そんな文武の名将
伊達成実をしかと承った <(_ _)> d(^^)♪
さて悠里館脇はJR常磐線。
軽く鉄道ロマンスイッチも入る。
この亘理駅は遙か東京まで続く。
(H28.8月現在一部不通だが)
常磐線の日暮里、北千住駅が、
ふと思い起こされる・・・妄想、瞑想、迷走。
→ 青春18きっぷの旅2013(1) 小国→草加
当日雨は残念であったが、
しっかりと脳天気で薔薇色であったかも ♪
次は歴代藩主の菩提寺へGO!
筆頭が文武に秀でた片倉小十郎景綱だが、
伊達成実(しげざね)も同じく文武の名将だ。
名作シリーズ「信長の野望」では、
どちらかというと武の猛将イメージだ。
兜の前立がムカデ・毛虫なのは、
それらの前に進むのみの習性のように、
「戦場では一歩も引かん!」
という決意の表れらしい=猛将決定打。
そんな伊達成実の領地は、
片倉景綱が白石へ移った後の亘理だ。
仙台防衛のために奥州街道を片倉景綱が、
浜街道を伊達成実が配置されたのだろう。
その宮城県亘理町はココ!
その居城の亘理要害は亘理城、臥牛城といい、
現在本丸後には成実を祭った亘理神社がある。
伊達稙宗の十二男で、
亘理氏に養子に入った亘理元宗が築き、
亘理氏の居城を小堤城(現在の大雄寺付近)から移した。
亘理重宗が天正19年(1591年)涌谷城に移った後、
片倉景綱が城主となった。
慶長7年(1602年)片倉景綱は白石城に移り、
伊達成実が城主となった。
成実は亘理城を改修し、城下町の建設に着手した。
一国一城令の後、亘理城は亘理要害と称された。
幕末まで亘理伊達氏が城主として、
亘理郡と宇多郡の一部を治めた。
明治元年(1868年)戊辰戦争に敗れた、
仙台藩の降伏式はこの地で行われた。
明治3年(1870年)亘理伊達氏の北海道移住、
(現在の伊達市)に伴い、
建物などは払い下げることになった。
市民憩いの場として遊具の公園が。
地元の謎の名士の銅像も。
そして神社へ参拝。
「長年の念願が叶い参上しました」
ペコペコ・パンパン・ペコ <(_ _)>
社殿背後には土塁跡と忠霊碑などが。
その先の馬場跡には亘理高校が。
左右非対称の鳥居だ。
かつての裏門、詰門に、
現在は道が切られている。
南側にはかつての内堀が残っている。
それがなぜ牛タン沼と云われるのかは不明。
その南側に大手門があったとのこと。
目を閉じれば・・・うむ、見えるぞよ d(-_-)
東側の二の丸跡は大手スーパーが。
仙台伊達の英雄 成実も片倉景綱も、
かつてこの辺りをウロウロしたことだろう ♪
と妄想するだけで十分満足だ v(^o^)v
さらば亘理要害!またいつか来るぜ (^^)/
さて次は亘理駅隣接の町立郷土歴史館と、
図書館の悠里館へ行ってみる。
堂々たる外観がマニアにはGood(^^)v
リキ入っているなぁ~!
→ 悠里館の四季風景
1階の郷土歴史観は亘理町の歴史、風俗と、
伊達家の紹介がピリリと琴線に触れる。
いつものように訪問記念に冊子を、
“ いつものように ” 2冊購入だ。
(いつも見てくれている人はその理由が判るよね?)
そんな成実が記した『成実記』は内容が深く、
文の教養もひとかどだったことを伝える。
ゆえに『成実記』は伊達政宗の一級資料とか。
館内には複製本も展示されておりますた。
まずは、そんな文武の名将
伊達成実をしかと承った <(_ _)> d(^^)♪
さて悠里館脇はJR常磐線。
軽く鉄道ロマンスイッチも入る。
この亘理駅は遙か東京まで続く。
(H28.8月現在一部不通だが)
常磐線の日暮里、北千住駅が、
ふと思い起こされる・・・妄想、瞑想、迷走。
→ 青春18きっぷの旅2013(1) 小国→草加
当日雨は残念であったが、
しっかりと脳天気で薔薇色であったかも ♪
次は歴代藩主の菩提寺へGO!