オレの寺!大雄寺(亘理伊達家廟所) [-2018旅行・地域]
さて、その亘理要害に、
伊達成実(しげざね)が入城してからは、
明治まで亘理伊達家として治世が続き、
その菩提寺が要害から西南の大雄寺だ。
いざ推参・・・山門は仁王門だ。
本堂へ続き合掌 <(_ _)>
さて亘理伊達家の廟所=お墓は、
広い駐車場の南側だ。
一般墓地奥の小高い所。
まずは何といっても藩初代成実の墓=霊屋だ。
悠里館で幕末近世時の古い様子を写真で見たが、
現在は色彩鮮やかに立派に建て替えられている。
その霊屋内に宮城県有形文化財の、
成実椅像が安置されているようだ。
以下歴代藩主のお墓が並ぶ。
成実の左奥に、父実元の同じ霊屋が。
ほとんどが藩主と夫人仲良く、
13代まで葬られている。
背後からは亘理の町を見渡すことが出来る。
当日はあいにくの雨だが、
この田園が広がる先には、
家内の友人が住んでいるらしい。
そして町内中心部に悠里館の偉容が。
ちなみに戊辰戦争で敗れた後は、
白石藩同様に北海道へ、
15代藩主自らも移住し開拓に励んだようだ。
それが洞爺湖、有珠山の麓の、
今日の伊達市とのこと。
→ 北海道伊達市 まちの歴史 明治時代の開拓
ちなみに白石藩は札幌市へ移住したので、
今日も札幌市白石区と名が残っている。
亘理町も3.11では被害を被った地域だ。
戦国末期に天下を狙った、
伊達政宗に従った夢の時代から、
幕末の敗戦、移住と現在の3.11の、
過酷な移り変わりに様々に思うところだ。
まずは天下に名を馳せた文武の名将成実以下、
亘理伊達家歴代の藩主たちが、
力強い復興を温かく見守っていることであろう。
あらためて合掌、そしてさらば!
たぶんまた来るぜ (^^)/
伊達成実(しげざね)が入城してからは、
明治まで亘理伊達家として治世が続き、
その菩提寺が要害から西南の大雄寺だ。
いざ推参・・・山門は仁王門だ。
本堂へ続き合掌 <(_ _)>
さて亘理伊達家の廟所=お墓は、
広い駐車場の南側だ。
一般墓地奥の小高い所。
まずは何といっても藩初代成実の墓=霊屋だ。
悠里館で幕末近世時の古い様子を写真で見たが、
現在は色彩鮮やかに立派に建て替えられている。
その霊屋内に宮城県有形文化財の、
成実椅像が安置されているようだ。
以下歴代藩主のお墓が並ぶ。
成実の左奥に、父実元の同じ霊屋が。
ほとんどが藩主と夫人仲良く、
13代まで葬られている。
背後からは亘理の町を見渡すことが出来る。
当日はあいにくの雨だが、
この田園が広がる先には、
家内の友人が住んでいるらしい。
そして町内中心部に悠里館の偉容が。
ちなみに戊辰戦争で敗れた後は、
白石藩同様に北海道へ、
15代藩主自らも移住し開拓に励んだようだ。
それが洞爺湖、有珠山の麓の、
今日の伊達市とのこと。
→ 北海道伊達市 まちの歴史 明治時代の開拓
ちなみに白石藩は札幌市へ移住したので、
今日も札幌市白石区と名が残っている。
亘理町も3.11では被害を被った地域だ。
戦国末期に天下を狙った、
伊達政宗に従った夢の時代から、
幕末の敗戦、移住と現在の3.11の、
過酷な移り変わりに様々に思うところだ。
まずは天下に名を馳せた文武の名将成実以下、
亘理伊達家歴代の藩主たちが、
力強い復興を温かく見守っていることであろう。
あらためて合掌、そしてさらば!
たぶんまた来るぜ (^^)/