オレの神社!武田神社 [-2018旅行・地域]
お初は21年前ゆえに記憶喪失の、
甲府市武田神社へ再突撃 (^^)/
今日も恋しき 武田の夢の跡は、
心癒やされる優しい音色と共に ♪
武田神社は信虎、信玄、勝頼の3代62年の間、
甲斐武田氏の本拠、甲斐の政庁として、
名を馳せた躑躅ヶ崎館跡に鎮座している。
甲府盆地北側の高台から見渡すように、
「人は城、人は石垣、人は堀・・・」と。
同じアングルで現在の様子を。
遠く霊峰富士、甲斐の連山を望む。
さて神橋から参道を。
七五三ゆえに家族連れが多く、
何気に若い女性、カップルも多く気が削がれる。
オレもカノジョとデートすたい~(*^_^*)
武田菱の手水がイイね!
ここにもいたか、謎の武将隊。
御祭神の信玄公へ拝礼 <(_ _)>
武田氏の本拠地を巡れる機会に感謝だ。
御朱印は2面専用紙の信玄公座り姿を。
大人らしくどっちも頂こうか迷ったが。
実はカッコイイ御朱印帳も購入したので。
500円+1700円=2200円 ♪
(また待機御朱印帳が増えてしまった・・・)
信玄公が使った井戸。
今は雨水でも濁り悲惨な様子と。
隣接の宝物館へももちろん突撃。
館内は撮影禁止だが、
この信玄公像は記念撮影にどうぞ、とのことで。
ここも恵林寺の宝物館同様に、
今ひとつ心に迫らなかったのは、
これが信玄公所用の甲冑だ!
とかが無いからかも・・・(-_-)
上杉謙信も徳川家康も、
伊達政宗も大興奮だったのに・・・。
(結局甲冑ファンなだけ~(^_-) )
名水「姫の井戸」は飲めるらしい。
「水琴窟」なる水音を愉しむ工夫。
神社境内以外の城跡をじっくりと散策したいが、
次の予定時間に追われ却下だ。
まずは信玄公も使用した厠で用を足すか・・・。
もちろん嘘だが、450年前にこの地面を、
信玄、勝頼、家臣たちも歩いたんだよね (^^)
そんな妄想の脳内劇場を愉しむ。
オレの頭の中は常にバラ色 ♪
「参拝ありがとうございました」
例の謎の武将隊から声を掛けられる。
ボランティアガイドの歴史案内隊だと。
「ご苦労様です~、
オレは武田のライバル、
上杉の町から来たんですよ~」
気持ち好く送り出されたので、
次の本命ミッションにも気合いが入る。
「境内をご案内つかまつろう!」
「あ、いーです」
ふと振り返ると、
カップルにガイドを拒否されている。
仕事は厳しいね ( ̄∇ ̄)
ガンバって下さい (^^)/
躑躅ヶ崎館周囲には家臣団の屋敷があったが、
現在の地図と重ね合わせると面白い。
Web地図でもこのように出てくる。
有名な武田二十四将いるかしらん (*^_^*)
市内を移動中に看板を見つける。
ん、これこれ (^^)
歩き回り全部制覇なども面白いかも。
武田信玄は満を持しての西上作戦において、
三方ヶ原の戦いで徳川家康を一蹴し、
いよいよ織田信長と対決という時に死亡した。
信玄があと1年、否半年でも生きながらえれば、
日本の歴史は大きく変わっていたに違いない。
そして勝頼への代替わりにもたつく間に、
攻勢に転じた家康と信長に、
長篠の戦いで大敗を喫し、
以後は下り坂を転げるように、
やがて滅亡してしまうのである・・・。
強者どもが夢の跡・・・しかと承った。
しかし、その畏敬の念は尽きない <(_ _)>
甲府市武田神社へ再突撃 (^^)/
今日も恋しき 武田の夢の跡は、
心癒やされる優しい音色と共に ♪
武田神社は信虎、信玄、勝頼の3代62年の間、
甲斐武田氏の本拠、甲斐の政庁として、
名を馳せた躑躅ヶ崎館跡に鎮座している。
甲府盆地北側の高台から見渡すように、
「人は城、人は石垣、人は堀・・・」と。
同じアングルで現在の様子を。
遠く霊峰富士、甲斐の連山を望む。
さて神橋から参道を。
七五三ゆえに家族連れが多く、
何気に若い女性、カップルも多く気が削がれる。
オレもカノジョとデートすたい~(*^_^*)
武田菱の手水がイイね!
ここにもいたか、謎の武将隊。
御祭神の信玄公へ拝礼 <(_ _)>
武田氏の本拠地を巡れる機会に感謝だ。
御朱印は2面専用紙の信玄公座り姿を。
大人らしくどっちも頂こうか迷ったが。
実はカッコイイ御朱印帳も購入したので。
500円+1700円=2200円 ♪
(また待機御朱印帳が増えてしまった・・・)
信玄公が使った井戸。
今は雨水でも濁り悲惨な様子と。
隣接の宝物館へももちろん突撃。
館内は撮影禁止だが、
この信玄公像は記念撮影にどうぞ、とのことで。
ここも恵林寺の宝物館同様に、
今ひとつ心に迫らなかったのは、
これが信玄公所用の甲冑だ!
とかが無いからかも・・・(-_-)
上杉謙信も徳川家康も、
伊達政宗も大興奮だったのに・・・。
(結局甲冑ファンなだけ~(^_-) )
名水「姫の井戸」は飲めるらしい。
「水琴窟」なる水音を愉しむ工夫。
神社境内以外の城跡をじっくりと散策したいが、
次の予定時間に追われ却下だ。
まずは信玄公も使用した厠で用を足すか・・・。
もちろん嘘だが、450年前にこの地面を、
信玄、勝頼、家臣たちも歩いたんだよね (^^)
そんな妄想の脳内劇場を愉しむ。
オレの頭の中は常にバラ色 ♪
「参拝ありがとうございました」
例の謎の武将隊から声を掛けられる。
ボランティアガイドの歴史案内隊だと。
「ご苦労様です~、
オレは武田のライバル、
上杉の町から来たんですよ~」
気持ち好く送り出されたので、
次の本命ミッションにも気合いが入る。
「境内をご案内つかまつろう!」
「あ、いーです」
ふと振り返ると、
カップルにガイドを拒否されている。
仕事は厳しいね ( ̄∇ ̄)
ガンバって下さい (^^)/
躑躅ヶ崎館周囲には家臣団の屋敷があったが、
現在の地図と重ね合わせると面白い。
Web地図でもこのように出てくる。
有名な武田二十四将いるかしらん (*^_^*)
市内を移動中に看板を見つける。
ん、これこれ (^^)
歩き回り全部制覇なども面白いかも。
武田信玄は満を持しての西上作戦において、
三方ヶ原の戦いで徳川家康を一蹴し、
いよいよ織田信長と対決という時に死亡した。
信玄があと1年、否半年でも生きながらえれば、
日本の歴史は大きく変わっていたに違いない。
そして勝頼への代替わりにもたつく間に、
攻勢に転じた家康と信長に、
長篠の戦いで大敗を喫し、
以後は下り坂を転げるように、
やがて滅亡してしまうのである・・・。
強者どもが夢の跡・・・しかと承った。
しかし、その畏敬の念は尽きない <(_ _)>