食傷気味の真田モノだが・・・ [-2018読書]
真田幸村が大好きで、この冬も新刊を購入していたのだが、
なかなか読む気にならぬはなぜ?
それは以前より、実に多くの似たような小説を持っているからで、
基本的に史実に沿いストーリーに大きな変化はないことを想像できるからかも。
だったら買うな!
・・・でもファンは持っているだけでも欲しい♪
いつかは読むだろう・・・たぶん・・・。
真田モノで斬新な切り口の物語はないかね?
例えば大坂夏の陣で・・・
①幸村の長子大助が秀頼を連れて薩摩に逃げ隠れて、
その遺児が島原の乱の天草四郎であった!
②幸村の娘と次男が伊達政宗重臣の片倉小十郎景綱の子(綱重)の元に、
送り届けられて密かに匿われていたが、
徳川政権の機をみて幕府に大戦を仕掛ける!
・・・などとは、なかなか厳しいか?
やっぱ池波正太郎の『真田太平記』が最高かも。
NHKドラマの関ヶ原の戦いからの名場面集をまとめておこう (^^)
名優中の名優 丹波哲郎が真田昌幸で草刈正雄が真田幸村だが、
徳川反骨の真田親子のイメージとして今でも強烈に残っているのだ。
丹波哲郎の昌幸像は荒れ狂う戦国の世を見事に渡り歩いた老獪な謀将イメージで、
草刈正雄の若々しい幸村像がそのまま後世まで続くイメージの発祥なのだろう。
一方、そのふたりに散々に悩まされたが、見事に明治まで家を残した、
信州松代藩初代真田家当主の渡瀬恒彦の思慮深い信之(信幸)像も素晴らしい!
本当に痺れる3親子のキャスティングだす ヾ(^v^)k
→ 真田太平記 オープニングテーマ
まずは関ヶ原の戦い直前の3親子が別れる有名な “ 犬伏の別れ ” を。
→ 真田幸村 関ヶ原前哨戦 真田家分裂
その関ヶ原の戦い時に2度目の上田城合戦で、
昌幸・幸村親子は再び見事に徳川の大軍に勝利する。
が、肝心の関ヶ原本戦で西軍が敗れて、昌幸・幸村親子は家康に死罪を申しつけられが、
東軍に与した信之の功績の引き替えに、信之舅の本多忠勝が死罪減免を訴える。
→ 殿を相手に戦仕る
そして紀州高野山へ配流となった昌幸・幸村親子だが、
時は流れ、江戸=徳川と大坂=豊臣の関係に不穏な空気が流れる中で・・・。
→ 左衛門佐、わ主ならどう攻める?
本人の願いは叶わずにやがて昌幸は没すが、
直後に大坂の陣が起こり、幸村は堂々と大坂城入場を果たし、
真田丸の戦いにて冬の陣で大坂勢への唯一の勝利をもたらす。
→ 真田幸村 大阪冬の陣 真田丸攻防戦
そして年が明けた5月に大坂夏の陣となり、幸村伝説完成とも云える、
電撃的突撃により家康本陣を襲い旗指物を踏みにじるが、今一歩届かず・・・。
(ちなみに歴史上家康の旗指物を踏みにじった武将は幸村以外には武田信玄のみ)
→ 真田幸村 大阪夏の陣全貌 家康本陣突撃
所詮、多勢に無勢の幸村は戦い疲れ、やがて終焉のシーンへ。
→ 真田幸村の最期 大阪夏の陣 安居天神
「兄上・・・。左衛門佐、かくあいなりました・・・。
父上・・・。これで・・・。これで、よろしゅう御座るか・・・。」
このセリフに今日も号泣 (ノД`)(ノД`)(ノД`)
・・・では田植えが終わったら “信長の野望” で悲願を達成すっか (^^)/
(あ、30周年記念新作サイトが・・・!)
なかなか読む気にならぬはなぜ?
それは以前より、実に多くの似たような小説を持っているからで、
基本的に史実に沿いストーリーに大きな変化はないことを想像できるからかも。
だったら買うな!
・・・でもファンは持っているだけでも欲しい♪
いつかは読むだろう・・・たぶん・・・。
真田モノで斬新な切り口の物語はないかね?
例えば大坂夏の陣で・・・
①幸村の長子大助が秀頼を連れて薩摩に逃げ隠れて、
その遺児が島原の乱の天草四郎であった!
②幸村の娘と次男が伊達政宗重臣の片倉小十郎景綱の子(綱重)の元に、
送り届けられて密かに匿われていたが、
徳川政権の機をみて幕府に大戦を仕掛ける!
・・・などとは、なかなか厳しいか?
やっぱ池波正太郎の『真田太平記』が最高かも。
NHKドラマの関ヶ原の戦いからの名場面集をまとめておこう (^^)
名優中の名優 丹波哲郎が真田昌幸で草刈正雄が真田幸村だが、
徳川反骨の真田親子のイメージとして今でも強烈に残っているのだ。
丹波哲郎の昌幸像は荒れ狂う戦国の世を見事に渡り歩いた老獪な謀将イメージで、
草刈正雄の若々しい幸村像がそのまま後世まで続くイメージの発祥なのだろう。
一方、そのふたりに散々に悩まされたが、見事に明治まで家を残した、
信州松代藩初代真田家当主の渡瀬恒彦の思慮深い信之(信幸)像も素晴らしい!
本当に痺れる3親子のキャスティングだす ヾ(^v^)k
→ 真田太平記 オープニングテーマ
まずは関ヶ原の戦い直前の3親子が別れる有名な “ 犬伏の別れ ” を。
→ 真田幸村 関ヶ原前哨戦 真田家分裂
その関ヶ原の戦い時に2度目の上田城合戦で、
昌幸・幸村親子は再び見事に徳川の大軍に勝利する。
が、肝心の関ヶ原本戦で西軍が敗れて、昌幸・幸村親子は家康に死罪を申しつけられが、
東軍に与した信之の功績の引き替えに、信之舅の本多忠勝が死罪減免を訴える。
→ 殿を相手に戦仕る
そして紀州高野山へ配流となった昌幸・幸村親子だが、
時は流れ、江戸=徳川と大坂=豊臣の関係に不穏な空気が流れる中で・・・。
→ 左衛門佐、わ主ならどう攻める?
本人の願いは叶わずにやがて昌幸は没すが、
直後に大坂の陣が起こり、幸村は堂々と大坂城入場を果たし、
真田丸の戦いにて冬の陣で大坂勢への唯一の勝利をもたらす。
→ 真田幸村 大阪冬の陣 真田丸攻防戦
そして年が明けた5月に大坂夏の陣となり、幸村伝説完成とも云える、
電撃的突撃により家康本陣を襲い旗指物を踏みにじるが、今一歩届かず・・・。
(ちなみに歴史上家康の旗指物を踏みにじった武将は幸村以外には武田信玄のみ)
→ 真田幸村 大阪夏の陣全貌 家康本陣突撃
所詮、多勢に無勢の幸村は戦い疲れ、やがて終焉のシーンへ。
→ 真田幸村の最期 大阪夏の陣 安居天神
「兄上・・・。左衛門佐、かくあいなりました・・・。
父上・・・。これで・・・。これで、よろしゅう御座るか・・・。」
このセリフに今日も号泣 (ノД`)(ノД`)(ノД`)
・・・では田植えが終わったら “信長の野望” で悲願を達成すっか (^^)/
(あ、30周年記念新作サイトが・・・!)
2013-05-20 01:03
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