オレの寺! 瑞龍寺 [-2018旅行・地域]
今日も清々しい芝の緑と青い空白い雲。
そこに一段と映えるモノクロの寺院の荘厳なことよ、天晴れ (^^)d
さてここは富山県高岡市の、JR高岡駅南に位置する国宝 高岡山瑞龍寺。
加賀藩2代藩主前田利長の菩提寺だ。
寺は3代藩主前田利常によって建立された。
利長は高岡に築城し、この地で亡くなった。
加賀120万石を譲られた異母弟の利常は深くその恩を感じ、
時の名匠に命じて七堂伽藍を整備し、高僧をもって開山とされた。
造営は約20年の歳月を要し、当時、寺域は3万6千坪、
周囲に堀をめぐらし、まさに城郭の姿を想わせるものであったらしい。
山門、仏堂、法堂は国宝、
総門、禅堂、大庫裏、回廊、大茶堂が国の重要文化財に指定されており、
江戸初期の禅宗寺院建築として高く評価されている。
オレはそんな予備知識を昔から識っていたので、
いつかは参拝!と鼻息を荒く潜め長年機会を伺っていたのだ (^^)v
拝観料500円を支払っていざ推参なり~!
総門からの直線配列の景観が、まずシビれる。
国宝の山門の偉容に圧倒される。
中国の寺院を模した七堂伽藍は、
総門、山門、仏堂、法堂を一直線に配列し、
左右に禅堂と大庫裏を置き、加えて四周を回廊と結ぶ厳粛で整然たる構成だ。
実は山門左右の七間浄頭(東司)と浴室は現在無い。
復元計画が進んでいるようだ。
その山門をくぐった先が、まるで極楽浄土なるかと想わせる小宇宙。
その国宝の仏堂も総欅造りの荘厳さ。
何れの窓からの額縁光景が、いちいち絵になる。
総桧造りで構造は方丈建築に書院建築を加味した法堂も国宝。
正面内陣には利長の位牌が安置されている。
その隣の般若の間には、
下の仏様、安産の仏様といわれる「うすさま明王」祭られている。
格天井には狩野安信の四季の百草花が描かれている。
そして “ 関所 ” のお守りや土産物コーナー。
やっぱ記念に買ってしまったピカピカの栞!
(栞は2種類あるが、やはり国宝全部入りをゲットするソツないオレ (^^)v )
奥には利長、利家、織田信長、信忠親子などの分骨廟の石廟がある。
なぜここに信長親子かというと、
利長の妻は信長の娘であるので、義理の父、兄という関係ゆえに、
親子で没した本能寺の変の後にまつられているらしい。
宝篋院塔がまつられていて、これは利長のもの。
これは信長のもの。
院内には様々な仏様が。
調理配膳など賑わったであろう大庫裏。
しかしこの別世界な空間はとてつもなく美しい (*^_^*)
外のトイレにも仏様がまつられており、賽銭はトイレ使用料のようなものか・・・。
利長の死に沿うように廃城となった高岡城の後に、
町民の誇りとして、加賀藩第2の町を見守り続けてきた瑞龍寺を確かに承った!
奈良京都の大寺院にも匹敵する、
噂に違えない素晴らしい寺でありました・・・満足 <(_ _)>
そこに一段と映えるモノクロの寺院の荘厳なことよ、天晴れ (^^)d
さてここは富山県高岡市の、JR高岡駅南に位置する国宝 高岡山瑞龍寺。
加賀藩2代藩主前田利長の菩提寺だ。
寺は3代藩主前田利常によって建立された。
利長は高岡に築城し、この地で亡くなった。
加賀120万石を譲られた異母弟の利常は深くその恩を感じ、
時の名匠に命じて七堂伽藍を整備し、高僧をもって開山とされた。
造営は約20年の歳月を要し、当時、寺域は3万6千坪、
周囲に堀をめぐらし、まさに城郭の姿を想わせるものであったらしい。
山門、仏堂、法堂は国宝、
総門、禅堂、大庫裏、回廊、大茶堂が国の重要文化財に指定されており、
江戸初期の禅宗寺院建築として高く評価されている。
オレはそんな予備知識を昔から識っていたので、
いつかは参拝!と鼻息を荒く潜め長年機会を伺っていたのだ (^^)v
拝観料500円を支払っていざ推参なり~!
総門からの直線配列の景観が、まずシビれる。
国宝の山門の偉容に圧倒される。
中国の寺院を模した七堂伽藍は、
総門、山門、仏堂、法堂を一直線に配列し、
左右に禅堂と大庫裏を置き、加えて四周を回廊と結ぶ厳粛で整然たる構成だ。
実は山門左右の七間浄頭(東司)と浴室は現在無い。
復元計画が進んでいるようだ。
その山門をくぐった先が、まるで極楽浄土なるかと想わせる小宇宙。
その国宝の仏堂も総欅造りの荘厳さ。
何れの窓からの額縁光景が、いちいち絵になる。
総桧造りで構造は方丈建築に書院建築を加味した法堂も国宝。
正面内陣には利長の位牌が安置されている。
その隣の般若の間には、
下の仏様、安産の仏様といわれる「うすさま明王」祭られている。
格天井には狩野安信の四季の百草花が描かれている。
そして “ 関所 ” のお守りや土産物コーナー。
やっぱ記念に買ってしまったピカピカの栞!
(栞は2種類あるが、やはり国宝全部入りをゲットするソツないオレ (^^)v )
奥には利長、利家、織田信長、信忠親子などの分骨廟の石廟がある。
なぜここに信長親子かというと、
利長の妻は信長の娘であるので、義理の父、兄という関係ゆえに、
親子で没した本能寺の変の後にまつられているらしい。
宝篋院塔がまつられていて、これは利長のもの。
これは信長のもの。
院内には様々な仏様が。
調理配膳など賑わったであろう大庫裏。
しかしこの別世界な空間はとてつもなく美しい (*^_^*)
外のトイレにも仏様がまつられており、賽銭はトイレ使用料のようなものか・・・。
利長の死に沿うように廃城となった高岡城の後に、
町民の誇りとして、加賀藩第2の町を見守り続けてきた瑞龍寺を確かに承った!
奈良京都の大寺院にも匹敵する、
噂に違えない素晴らしい寺でありました・・・満足 <(_ _)>
2013-09-04 00:00
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