トキワ荘散策(2)巨匠らの息吹を味わったのだ!の巻 [2019-旅行・地域]
「よく来たね!」
ドラえもんを知らぬ人はいまい。
この国民的キャラクターらを、
生み出したマンガ家たちが
若き日々を過ごした地域へGO!
→ (1)日本のマンガの聖地なのだ!の巻
それは昭和30年代前半頃=
=1955~1960年頃と、
既に70年も前のことだ。
4号の新たなアパートより、
東へ一本道で、たった5km!
豊島区椎名町、南長崎という地域だ。
まず目白通り、山手通りの交差点で、
紹介看板をハッケーン!
その南西角に、
「エデン」という喫茶店があり、
当時既に冷房設備とのことで、
マンガ家たちは構想を練ったり、
ペン入れまでしていたらしい。
そのモダンでランドマーク的存在は、
2002年に山手通りの拡幅工事で閉店だ。
でその目白通りからトキワ荘通りへ。
子育て地蔵尊は、
先生方もお参りしたとな。
私もこの機会を感謝しよう <(_ _)>
そして目印の中華料理店を目指す。
あった!
『松葉』だ ヾ(^v^)k
→ 藤子不二雄や手塚治虫が愛した・・・
店の扉には『まんが道』でのシーンが。
「ンマ~イ!」もお馴染みだ。
オレもラーメンを食したかったが、
開店時間前で、先々の予定でも断念だ。
いつか再訪機会もあろう・・・(^^)
そしてその『松葉』目の前の路地が、
トキワ荘跡地への入口だ!
いよいよモノホン本丸にワクワクと。
その突き当たり隅っこに・・・!
モニュメントだ ヾ(^v^)k
そのトキワ荘は、
1952年(昭和27年)12月上棟、
1982年(昭和57年)12月解体と。
また、このモニュメントは、
2012年(平成24年)3月設置なれば、
1号が上京した1年後なので、
当時気張ってココへ訪問していれば、
目にしなかったはず (^0^;) アブナイアブナイ
手塚治虫の入居を機に、
引き寄せられるように続々とは、
まさに英雄の集う梁山泊なるか。
トキワ荘の位置はこのように、
玄関は東側の通りからだ。
『松葉』からの出前は、
直接2階への階段で届いたとも。
一番上左から寺田ヒロオ、藤子不二雄A、
二番目左から鈴木伸一、つのだじろう、
藤子・F・不二雄、
下段左から森安なおや、石ノ森章太郎、
赤塚不二夫とシビれる面々だ (^o^)
彼らのマンガで育ったガチ世代なので!
1982年、老朽化のため解体されるにあたり、
その前年に、かつての住人たちの、
同窓会が開かれた。
左から手塚治虫、藤子不二雄A、
藤子・F・不二雄、赤塚不二夫。
そんな巨匠たちは、
確かにココで生活していたか!
景観は変われど地面と空は変わらず。
時は変われど同じ空気を味わう ヾ(^v^)k
このことが大事!ヘ(・.ヘ)(ノ.・)ノ
モノホンに触れて興奮は収まらず。
ゆかりの場所は続々と。
米屋を改装した施設だ。
「お休み処」とな。
お土産も売ってるらしいが、
開店前で残念・・・。゚(゚´Д`゚)゚。
その隣にも。
トキワ荘ゆかりの、
マンガや本が読めるらしい。
ドアが開いていたので入室すると、
「まだ開店まえだよ!」と。
(先に誰かいるじゃん!)
ま、チラ見でヨシなので (^^)
そんなトキワ荘を主体として、
町興し施設等、恩恵を受けている模様だ。
他にも銭湯、映画館跡等も、
探せばさらに充実であったろう。
「先生方も歩いたんだよなぁ~」
「その辺で買い物してたよなぁ~」
想像と妄想の空気を胸いっぱいに。
さて少し離れて西部池袋線の椎名町駅。
(駅を攻め損なって少し後悔 (×_×))
その北側のお寺も気になり訪問だ。
真言宗豊山派 金剛院と。
同じ宗派なので参拝を <(_ _)>
実は他にお目当てがあり、
それは弘法大師のお隣にハッケーン!
創造の縁を結ぶ「マンガ地蔵」と!
光背はGペンで、錫条もペンと。
そして衣はコマ割りで、
吹き出しや擬音との拘りようだ。
マンガの聖地に上手く便乗だな (^▽^)
レアな御朱印は参拝の思い出として。
「我が家も真言宗豊山派なんですよ~」
「これもご縁ですね~」
そんな街並み散策は十二分に愉しみ、
これにて退散、或いは帰郷路へ。
・・・は、
1号在京時や5年前までならば・・・。
実は4年前に新たな施設が登場したのだ!
ソコは是非とも行かねばならぬ ヽ(゚Д゚)ノ
もちろん全力疾走で!
(つづく)
本編はコチラ!
→ 東京ぷらぷら2024春(4)夢は幻で現実に帰す
(山形おぐにの百姓生活)
ドラえもんを知らぬ人はいまい。
この国民的キャラクターらを、
生み出したマンガ家たちが
若き日々を過ごした地域へGO!
→ (1)日本のマンガの聖地なのだ!の巻
それは昭和30年代前半頃=
=1955~1960年頃と、
既に70年も前のことだ。
4号の新たなアパートより、
東へ一本道で、たった5km!
豊島区椎名町、南長崎という地域だ。
まず目白通り、山手通りの交差点で、
紹介看板をハッケーン!
その南西角に、
「エデン」という喫茶店があり、
当時既に冷房設備とのことで、
マンガ家たちは構想を練ったり、
ペン入れまでしていたらしい。
そのモダンでランドマーク的存在は、
2002年に山手通りの拡幅工事で閉店だ。
でその目白通りからトキワ荘通りへ。
子育て地蔵尊は、
先生方もお参りしたとな。
私もこの機会を感謝しよう <(_ _)>
そして目印の中華料理店を目指す。
あった!
『松葉』だ ヾ(^v^)k
→ 藤子不二雄や手塚治虫が愛した・・・
店の扉には『まんが道』でのシーンが。
「ンマ~イ!」もお馴染みだ。
オレもラーメンを食したかったが、
開店時間前で、先々の予定でも断念だ。
いつか再訪機会もあろう・・・(^^)
そしてその『松葉』目の前の路地が、
トキワ荘跡地への入口だ!
いよいよモノホン本丸にワクワクと。
その突き当たり隅っこに・・・!
モニュメントだ ヾ(^v^)k
そのトキワ荘は、
1952年(昭和27年)12月上棟、
1982年(昭和57年)12月解体と。
また、このモニュメントは、
2012年(平成24年)3月設置なれば、
1号が上京した1年後なので、
当時気張ってココへ訪問していれば、
目にしなかったはず (^0^;) アブナイアブナイ
手塚治虫の入居を機に、
引き寄せられるように続々とは、
まさに英雄の集う梁山泊なるか。
トキワ荘の位置はこのように、
玄関は東側の通りからだ。
『松葉』からの出前は、
直接2階への階段で届いたとも。
一番上左から寺田ヒロオ、藤子不二雄A、
二番目左から鈴木伸一、つのだじろう、
藤子・F・不二雄、
下段左から森安なおや、石ノ森章太郎、
赤塚不二夫とシビれる面々だ (^o^)
彼らのマンガで育ったガチ世代なので!
1982年、老朽化のため解体されるにあたり、
その前年に、かつての住人たちの、
同窓会が開かれた。
左から手塚治虫、藤子不二雄A、
藤子・F・不二雄、赤塚不二夫。
そんな巨匠たちは、
確かにココで生活していたか!
景観は変われど地面と空は変わらず。
時は変われど同じ空気を味わう ヾ(^v^)k
このことが大事!ヘ(・.ヘ)(ノ.・)ノ
モノホンに触れて興奮は収まらず。
ゆかりの場所は続々と。
米屋を改装した施設だ。
「お休み処」とな。
お土産も売ってるらしいが、
開店前で残念・・・。゚(゚´Д`゚)゚。
その隣にも。
トキワ荘ゆかりの、
マンガや本が読めるらしい。
ドアが開いていたので入室すると、
「まだ開店まえだよ!」と。
(先に誰かいるじゃん!)
ま、チラ見でヨシなので (^^)
そんなトキワ荘を主体として、
町興し施設等、恩恵を受けている模様だ。
他にも銭湯、映画館跡等も、
探せばさらに充実であったろう。
「先生方も歩いたんだよなぁ~」
「その辺で買い物してたよなぁ~」
想像と妄想の空気を胸いっぱいに。
さて少し離れて西部池袋線の椎名町駅。
(駅を攻め損なって少し後悔 (×_×))
その北側のお寺も気になり訪問だ。
真言宗豊山派 金剛院と。
同じ宗派なので参拝を <(_ _)>
実は他にお目当てがあり、
それは弘法大師のお隣にハッケーン!
創造の縁を結ぶ「マンガ地蔵」と!
光背はGペンで、錫条もペンと。
そして衣はコマ割りで、
吹き出しや擬音との拘りようだ。
マンガの聖地に上手く便乗だな (^▽^)
レアな御朱印は参拝の思い出として。
「我が家も真言宗豊山派なんですよ~」
「これもご縁ですね~」
そんな街並み散策は十二分に愉しみ、
これにて退散、或いは帰郷路へ。
・・・は、
1号在京時や5年前までならば・・・。
実は4年前に新たな施設が登場したのだ!
ソコは是非とも行かねばならぬ ヽ(゚Д゚)ノ
もちろん全力疾走で!
(つづく)
本編はコチラ!
→ 東京ぷらぷら2024春(4)夢は幻で現実に帰す
(山形おぐにの百姓生活)