忠犬ハチ公の生家を観たのだ!の巻 [2019-旅行・地域]
たぶん日本一有名な犬。
で像は東京渋谷のシンボル。
ご存じ 忠犬ハチ公!
ではその生涯をおさらいしてみよう!
晩年の写真も残っている。
生年:1923年(大正12年)11月10日
没年:1935年(昭和10年)3月8日[満11歳]
死体は剥製にされ、現在は、
東京上野の国立科学博物館に所蔵されている。
そんな国民的犬の生家とな!
そこは秋田県北部の大館市で、
小国町から400km弱の遠い所だ。
無料区間の秋田自動車道(E7)=
=鷹ノ巣大館道路(R7)を、
北側から潜り通り250mほどか。
とーちゃくぅ!ヾ(^v^)k
バス待合所隣にハチ公トイレとな。
そこに『ハチ公生家』とだが・・・
トイレだろ?
だからさぁ・・・トイレだろ?
生家はその道路向かいの斎藤家だ。
平成元年(1989年)寄贈、建立と。
ハチ公は飼い主が急死した後も、渋谷駅に毎日通って、死ぬまで10年間も待ち続けました。
生粋の秋田犬として秋田県大館市で生まれたハチが、生後50日で鉄道で小荷物として運ばれて東大農学部の教授であった上野英三郎博士のところに来たのは、1924年(大正13年)の1月でした。大の犬好きであった博士は、体の弱かったハチを自分のベッドの下に寝かせるなど細心の気遣いをして育て大いに可愛がり、大学や渋谷駅にいつも送り迎えをさせていました。1925年(大正14年)5月21日、博士が大学で急死して突然の別れが訪れたのは、ハチが上野に飼われ始めて17か月の時でした。ハチ公はその後、朝夕に駅に通い、改札口から出てくる人々の中に上野英三郎の姿と匂いを求め続けました。ハチの心には、愛情に溢れる飼い主に可愛がられた日々の記憶が消えることがなかったに違いありません。
ハチ公は晩年、有名になってから「忠犬」と呼ばれるようになり、戦争と軍国主義の時代にあって恩を忘れぬ犬として修身教育に利用されました。ハチ公を世に知らせた社会的な生みの親で犬の愛護と研究に生涯を捧げた斎藤弘吉氏は次のように述べています:
「死ぬまで渋谷駅を懐かしんで、毎日のように通っていたハチ公を、人間的に解釈すると恩を忘れない美談になるかも知れませんが、ハチの心を考えると恩を忘れない、恩にむくいるなどという気持ちは少しもあったとは思えません。あったのは、ただ自分を可愛がってくれた主人への、それこそまじりけのない、愛情だけだったと思います。ハチに限らず、犬とはそうしたものだからです。無条件な絶対的愛情なのです。人間に例えれば、子が母を慕い、親が子を愛するのに似た性質のものです。」
「渋谷駅を離れなかったのは、心から可愛がってくれた到底忘れることのできない博士に会いたかったのである。ハチ公の本当の気持ちは、大好きな博士にとびつき自分の顔を思いきりおしつけて、尾をふりたかったのである。」
(ハチ公と上野博士の物語 - 東大ハチ公物語 - 東京大学より)
感慨に浸っていると、
軽トラが帰宅らしく、目が合った、
運転手さんへ軽く会釈を <(_ _)>
すると敷地内へ手招きされて、
もう一つの記念碑を紹介されたが、
銅板は風化で見難くなり、
失敗したなぁ、などと (^^)
当時の斎藤家屋敷の間取りと、
ハチ公の出生系譜等。
今から4代前の話だ、と。
山形県より来訪と答えると、
よく判らない話へとんだりしたが、
まずはゆっくり観てって、と。
ご当代様、ありがとうございました。
因みに我が愛車と同じだ!
(今はソコはお呼びでない? (^_-))
現在は稲作を主とした豪農のようで。
さて再び道路向かいへ。
市の管理かな?
トイレ掃除は誰が???
点検表は?・・・あ、ついゴメンなさい (^_^;
さてさて、綺麗にされていれば、
記念に「印」をつけていくか (^o^)
斎藤家より再び別の軽トラ出動。
生活の邪魔にならぬように!
今年は奇しくも生誕100年!
何かの縁ですかね・・・(^_-)☆
忠犬ハチ公の生家、
確かに承った ヾ(^v^)k
その後の高速道Pでハッケーン!
『秋田のハチ公の生家に行ってきました。』
が我らは正確なんだけど (^。^)y-゚゚゚
本用事のついでで発見した場所だが、
そこから広がる物語に帰宅後も心温まる。
いつか主従の眠る青山霊園の墓参も愉しみかな。
まずは、本日この機会を、
ありがとう!お祖母ちゃん <(_ _)>
PS.おまけ (^o^)
で無性に映画が観たくなり候。
Discも販売されているが、
YouTubeで全編観られる!ヾ(^v^)k
→ 映画『ハチ公物語』プレイリスト 1~11
仲代達矢以下豪華俳優陣もあるが、
ハチ公役の利口さ、可愛さに、
思わず2周しちゃったよ (^_-)☆
で像は東京渋谷のシンボル。
ご存じ 忠犬ハチ公!
ではその生涯をおさらいしてみよう!
晩年の写真も残っている。
生年:1923年(大正12年)11月10日
没年:1935年(昭和10年)3月8日[満11歳]
死体は剥製にされ、現在は、
東京上野の国立科学博物館に所蔵されている。
そんな国民的犬の生家とな!
そこは秋田県北部の大館市で、
小国町から400km弱の遠い所だ。
無料区間の秋田自動車道(E7)=
=鷹ノ巣大館道路(R7)を、
北側から潜り通り250mほどか。
とーちゃくぅ!ヾ(^v^)k
バス待合所隣にハチ公トイレとな。
そこに『ハチ公生家』とだが・・・
トイレだろ?
だからさぁ・・・トイレだろ?
生家はその道路向かいの斎藤家だ。
平成元年(1989年)寄贈、建立と。
ハチ公は飼い主が急死した後も、渋谷駅に毎日通って、死ぬまで10年間も待ち続けました。
生粋の秋田犬として秋田県大館市で生まれたハチが、生後50日で鉄道で小荷物として運ばれて東大農学部の教授であった上野英三郎博士のところに来たのは、1924年(大正13年)の1月でした。大の犬好きであった博士は、体の弱かったハチを自分のベッドの下に寝かせるなど細心の気遣いをして育て大いに可愛がり、大学や渋谷駅にいつも送り迎えをさせていました。1925年(大正14年)5月21日、博士が大学で急死して突然の別れが訪れたのは、ハチが上野に飼われ始めて17か月の時でした。ハチ公はその後、朝夕に駅に通い、改札口から出てくる人々の中に上野英三郎の姿と匂いを求め続けました。ハチの心には、愛情に溢れる飼い主に可愛がられた日々の記憶が消えることがなかったに違いありません。
ハチ公は晩年、有名になってから「忠犬」と呼ばれるようになり、戦争と軍国主義の時代にあって恩を忘れぬ犬として修身教育に利用されました。ハチ公を世に知らせた社会的な生みの親で犬の愛護と研究に生涯を捧げた斎藤弘吉氏は次のように述べています:
「死ぬまで渋谷駅を懐かしんで、毎日のように通っていたハチ公を、人間的に解釈すると恩を忘れない美談になるかも知れませんが、ハチの心を考えると恩を忘れない、恩にむくいるなどという気持ちは少しもあったとは思えません。あったのは、ただ自分を可愛がってくれた主人への、それこそまじりけのない、愛情だけだったと思います。ハチに限らず、犬とはそうしたものだからです。無条件な絶対的愛情なのです。人間に例えれば、子が母を慕い、親が子を愛するのに似た性質のものです。」
「渋谷駅を離れなかったのは、心から可愛がってくれた到底忘れることのできない博士に会いたかったのである。ハチ公の本当の気持ちは、大好きな博士にとびつき自分の顔を思いきりおしつけて、尾をふりたかったのである。」
(ハチ公と上野博士の物語 - 東大ハチ公物語 - 東京大学より)
感慨に浸っていると、
軽トラが帰宅らしく、目が合った、
運転手さんへ軽く会釈を <(_ _)>
すると敷地内へ手招きされて、
もう一つの記念碑を紹介されたが、
銅板は風化で見難くなり、
失敗したなぁ、などと (^^)
当時の斎藤家屋敷の間取りと、
ハチ公の出生系譜等。
今から4代前の話だ、と。
山形県より来訪と答えると、
よく判らない話へとんだりしたが、
まずはゆっくり観てって、と。
ご当代様、ありがとうございました。
因みに我が愛車と同じだ!
(今はソコはお呼びでない? (^_-))
現在は稲作を主とした豪農のようで。
さて再び道路向かいへ。
市の管理かな?
トイレ掃除は誰が???
点検表は?・・・あ、ついゴメンなさい (^_^;
さてさて、綺麗にされていれば、
記念に「印」をつけていくか (^o^)
斎藤家より再び別の軽トラ出動。
生活の邪魔にならぬように!
今年は奇しくも生誕100年!
何かの縁ですかね・・・(^_-)☆
忠犬ハチ公の生家、
確かに承った ヾ(^v^)k
その後の高速道Pでハッケーン!
『秋田のハチ公の生家に行ってきました。』
が我らは正確なんだけど (^。^)y-゚゚゚
本用事のついでで発見した場所だが、
そこから広がる物語に帰宅後も心温まる。
いつか主従の眠る青山霊園の墓参も愉しみかな。
まずは、本日この機会を、
ありがとう!お祖母ちゃん <(_ _)>
PS.おまけ (^o^)
で無性に映画が観たくなり候。
Discも販売されているが、
YouTubeで全編観られる!ヾ(^v^)k
→ 映画『ハチ公物語』プレイリスト 1~11
仲代達矢以下豪華俳優陣もあるが、
ハチ公役の利口さ、可愛さに、
思わず2周しちゃったよ (^_-)☆
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- 発売日: 2015/11/04
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2023-08-18 10:17
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