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『夢叶うまで挑戦 ― 四国の名将・上甲正典が遺したもの』 [-2018読書]

高校野球界の名将 愛媛県の上甲正典監督。
宇和島東済美を率いて甲子園通算出場17回、25勝15敗、
優勝2回(1988年春、2004年春)・準優勝2回(2004年夏、2013年春)。
しかも優勝は何れも初出場・初優勝と鮮烈な印象を残す。
ちなみに異なる学校で全国制覇は史上3人しかいない。


1998年選抜準々決勝の宇部商戦では、
9回裏2-4ビハインドから3点を取り逆転サヨナラを演じた。
オレはTVで観てて凄い粘りのチームと唸った覚えがある。

その宇和島東は1990年半ばが黄金期で、
この時期に優勝こそないが、
地方の県立高校から4年連続プロ選手を輩出した。
平井正史岩村敬士橋本将宮出隆自岩村明憲だ。
うち4人がプロ15年選手というのが特筆もの・・・凄い!
特に岩村明憲は愛媛県、四国唯一のメジャーリーガー。

オレ的には橋本将が3年生の時のチームが、
バランスが取れていて最強かな?
確かリトルリーグで全国優勝?
か上位の成績世代で好選手が揃っていた。
とにかくあの頃の牛鬼打線には燃えましたな。
その宇和島東高校はココ。


その後、三顧の礼で招聘され就任した、
創部3年目の済美でも2先生エース福井優也
4番鵜久森淳志で初出場・初優勝の春に続き、
夏も決勝まで進み、惜しくも駒大苫小牧に敗れ、
史上初の初出場春夏連覇の偉業は成らなかったが、
こちらも高校野球界に強烈な印象を残した。



その後は2年生の安樂智大で春の決勝まで進んだが敗戦。
その翌年秋に上甲監督はこの世を去ることになる。
その済美高校はここ。


そんな名将の本。
しかし本人が亡くなった後に教え子、野球部関係者、
指導者仲間らへの取材でまとめあげられたため、
その時の本人の胸中真意は不明だが、よ~く伝わった。

優勝請負人のイメージが強いが、
高校野球は勝利至上主義では無く、
人間教育の一環と言い切り礼儀、躾等に厳しい。
辛く厳しい練習で生徒を追い込んだ真意は、
プロへ行ける子は一握りで、大多数は社会へ出るので、
そのための準備、鍛錬の場なのだと。

練習があまりに厳しく、理不尽なことも多かったが、
人心掌握術に長けており子どもたちは着いていった。
それでも宇和島東名物と云われた、
「脱走」なる子どもたちのサボりのエピソードも面白く、
一緒に逃げなかった子が逆に叱られたなどは笑える。

そんなことで現役時代の多くの子どもたちは、
上甲監督を嫌いと言っていたが、監督自身は、
「20年後に判ってくれたら良い」と語っており、
事実今回取材にあたり教え子達は、
皆口を揃えて感謝の意を表している。

ちなみにお馴染みとなった「上甲スマイル」だが、
かつては、その厳しさにより、
試合中でも怖い顔のままであったらしいが、
箕島高校の尾藤公監督より、
「そんな厳つい顔じゃ、試合で選手は力を出せないよ」
と諭されて、鏡で笑顔の練習をし身につけたとか。

最初は本人の取材が無いことに不安を抱いたが、
見事に裏切られ、時には涙、の濃い内容で愉しめた本だ。

P1190008.JPG

魔法のささやきエピソードも印象的だ。
同じ他の監督からも「教員監督では無理」と言わしめた、
ここぞと云うときの選手への声掛けもまた氏らしい。

1999年愛媛大会 準々決勝 松山聖陵戦。
宇和島東は9回裏 5-8の土俵際で2アウト満塁!
バッターはツーストライクに追い込まれて万事休すか。
その時、上甲監督はタイムをかけて近づき、
顔面蒼白なバッターへ、こうささやいたそうだ。
「天国にいるお父さんとお母さんのところへ向かって打ってこい」
・・・直後、センターオーバーの同点タイムリーが飛び出した。
そして続くはヒットで逆転サヨナラ勝ち!
まさに神懸かり的!

その試合が次動画・・・ 2分50秒過ぎに注目ヽ(゜Д゜)ノ 


ちょっと胸が熱くなる・・・ウウッ 。゜(゜´Д`゜)゜。。。


また、安樂投手の772球=投げ過ぎも話題になり、
アメリカのESPNが取材に訪れた時のエピソードも記したい。

批判的な目を持って来日した彼らを、
上甲監督は普段通りの練習、様子を取材させ、
堂々とインタビューにも応対し、
夜遅くまで腹を割って話し合ったとのこと。
そんな取材を進めたクルーも、
最後は考え方に変化があったようだ。

「--- アメリカの物差しで、日本の高校野球を測ることはできない。
--- 安樂は彼のためではなく、家族のため、チームメイトのため、学校のため、地域のため、県のために投げている。彼はお金では測れないもののために体を張っている。それはある意味、我々が失った美しさだ。今、アメリカの高校野球界はドラフトで指名されること、大学で奨学金をもらうことがプレーする目的になっているから。
--- 練習で一番印象的だったのは、選手らが練習前に、自分の故郷の方角を向いて親へ感謝、自分がどんな選手になりたいかを、目をつぶって静かに考えていたシーンだ、あの時は、はっきり分かった。上甲は単に野球の上手い子どもを育てているのではなく、野球以上のことを教えようとしていると。
--- ここに自分の子どもを預けて、しつけ直してほしい。週末のたびにパーティーへ出掛けて、どこかでドラッグでもやっているのではないかと心配するよりは、よほど安心してられる。」


「なぜ772球も投げさせたのか?」

上甲監督は高校野球には、
武士道のような厳しさも必要と語る。
また、甲子園のしかも決勝戦、
誰でも立てる場所ではない。
その時に子どもが投げたいというのならば、
その気持ちは尊重したい、と。

なお、日本の識者、現場の監督たちも、
同様に声を揃える。
「その時、誰が止めろと言える? 俺も投げさす」


何はともあれアメリカの取材、番組は、
一方的に批判するわけでも無く、
アメリカに受け入れられなくとも、
日本には日本の文化がある、
とバランスの取れたものに仕上がったらしい。

これは日本の文化発信として、
上甲監督の大きな功績と云えるのではなかろうか。


上甲監督が遺したもの・・・
蒔いた種はしっかりと根を張り花を咲かせている。
まったく惜しい人がこの世を去った (ノД`);;;



では最後に、前述の、
「異なる学校で全国制覇は史上3人しかいない」
さて残る2人は誰でしょう?(^_-)


夢叶うまで挑戦―四国の名将・上甲正典が遺したもの

夢叶うまで挑戦―四国の名将・上甲正典が遺したもの

  • 作者: 丹羽 政善
  • 出版社/メーカー: ベースボールマガジン社
  • 発売日: 2015/07/16
  • メディア: 単行本



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