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オレの神社!・・・志波彦神社・鹽竈神社 [-2018旅行・地域]

ようやく陸奥国一之宮へ参拝が叶った。
その志波彦神社・鹽竈神社(しわひこじんじゃ・しおがまじんじゃ)は、
宮城県塩竈市にある二社が同一境内に鎮座している神社だ。
一之宮は鹽竈神社で龍穴パワースポットでも注目!

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表参道は202段の石段で男坂といい、
その堂々たる雰囲気が登坂意欲をかき立てる。

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ゆえに駐車場からすぐの東参道(女坂)ではなく、
一旦境内を出て遠回りをして表参道(男坂)へ向かい、
鹽竈神社、志波彦神社の順で参拝だ。

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紅葉が美しい志波彦神社の鳥居。

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そして鹽竈神社の東参道。

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それらを横目に砂利と石の、
七曲坂なるつづら折りを一旦下る。
(せっかく登ったのに勿体ないような気がするが・・・)

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さて表参道へ参上!(^^)/

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近所?の小学生も参拝のようだ。

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東京の愛宕神社を思い起こさせる石段だ。
この坂に良い気が流れているらしいので、
取込むべくじっくりと登るぜ ヾ(^v^)k

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私はやって来た、
この坂を登るために、
みちのく出羽国から。
パワーアップ!カモン!!

が、ハァハァハァ・・・う~む、けっこう辛い (@@;)

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そんな足元の落ち葉も、いとをかし。

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随神門が大きくなれば、もうすぐ。

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ハァハァハァふふふ・・・パワーアップしたかも d(^^)

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手水舎の先の唐門が修築中らしく残念だ。

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左右宮拝殿。
両賽銭箱の間辺りも良い気があるらしい。

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その隣の『多羅葉の木』周辺もパワースポット。

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別宮拝殿。

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日時計。

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松尾芭蕉も参拝し、
奥の細道にも綴られた灯籠。

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なで牛をなでなで・・・(^_-)

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東参道の東神門より退出だ。

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そして志波彦神社も参拝。

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神門にはこの時期の菊が。

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神門脇からは松島湾が望める。

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紅葉と清々しい晩秋の気なるか。

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ついでに鹽竈神社博物館へ。

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伊達政宗子孫の甲冑が良かったネ ヾ(^v^)k

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晴天下の紅葉に恵まれ、
気持ちの良い参拝が出来たことを感謝だ <(_ _)>

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『奥会津・只見線 歳時記』カレンダーが届いた [-2018旅行・地域]

昨年版はなぜか届かなかったが、
今年は届いた=越年悲願成就。

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福島県の奥会津地方と、
JR只見線の写真カレンダーだ。
  → 奥会津・只見線歳時記カレンダー2017 (Yahoo!ショッピング)

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昨年夏にさなぶりドライブで訪問したとき、
Webで様々に調べていたら、
そこで郷土写真等で活躍している方を知り、
Facebookで友達になっていただいた。

その金山町の星賢考さんより届いた!?
封筒裏面の氏の名前に感激 ヾ(^v^)k
  → 『只見線歳時記』 /星 賢孝

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「俺にしか撮れない絶景」
というキャッチコピーがカッコイイ d(^^)

そんな星さんのTV出演動画が。


そんな金山町とは。


そんな近隣、只見線の絶景。


やるな奥会津 (^^)

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情報発信ですな。
こんな時代ゆえに見習いたい。


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無苦庵跡をチラ見 [-2018旅行・地域]

前田慶次が上杉氏を頼り、
最晩年を過ごした米沢市堂森地区。

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昨年秋に同地内の、
その屋敷跡(無苦庵)の発掘調査が行われ、
その場所は3号が通う米沢工業高校至近なので、
何回目かのチラ見へ彷徨ってみる。
  → 米沢「無苦庵跡」発掘調査


そこは工業団地への大通りに面している。

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今は一般の方の私有地?らしく、
発掘現場は埋め戻されて畑と化している。

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先日市内書店で、その調査報告冊子を発見だ。

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こーゆーの好きなんだよね d(^^)

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その冊子表紙と現在の様子を。

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かつてここで、
そんな豪傑がウロウロしていた!
と想像するロマンが堪らない。

・・・しかし、その畑の主は特に作業中などは、
オレのようにジロジロと見られて落ち着かないことであろう。
(ファンはマナーを守って迷惑にならぬようにしましょう)

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周囲は同じく前田慶次ゆかりの地が目白押し。
今は削除した旧ブログでも記事として取上げたが、
そのうち改めて最記事化しよう。
つーか、満腹感も薄れてきたので、
ついでに上杉ゆかりの、
米沢の史跡も再訪記事化すっか (^^)


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オレの寺!大雄寺(亘理伊達家廟所) [-2018旅行・地域]

さて、その亘理要害に、
伊達成実(しげざね)が入城してからは、
明治まで亘理伊達家として治世が続き、
その菩提寺が要害から西南の大雄寺だ。

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いざ推参・・・山門は仁王門だ。

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本堂へ続き合掌 <(_ _)>

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さて亘理伊達家の廟所=お墓は、
広い駐車場の南側だ。

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一般墓地奥の小高い所。

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まずは何といっても藩初代成実の墓=霊屋だ。

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悠里館で幕末近世時の古い様子を写真で見たが、
現在は色彩鮮やかに立派に建て替えられている。

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その霊屋内に宮城県有形文化財の、
成実椅像が安置されているようだ。

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以下歴代藩主のお墓が並ぶ。

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成実の左奥に、父実元の同じ霊屋が。

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ほとんどが藩主と夫人仲良く、
13代まで葬られている。

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背後からは亘理の町を見渡すことが出来る。
当日はあいにくの雨だが、
この田園が広がる先には、
家内の友人が住んでいるらしい。

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そして町内中心部に悠里館の偉容が。

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ちなみに戊辰戦争で敗れた後は、
白石藩同様に北海道へ、
15代藩主自らも移住し開拓に励んだようだ。
それが洞爺湖、有珠山の麓の、
今日の伊達市とのこと。
 → 北海道伊達市 まちの歴史 明治時代の開拓


ちなみに白石藩は札幌市へ移住したので、
今日も札幌市白石区と名が残っている。

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亘理町も3.11では被害を被った地域だ。
戦国末期に天下を狙った、
伊達政宗に従った夢の時代から、
幕末の敗戦、移住と現在の3.11の、
過酷な移り変わりに様々に思うところだ。

まずは天下に名を馳せた文武の名将成実以下、
亘理伊達家歴代の藩主たちが、
力強い復興を温かく見守っていることであろう。

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あらためて合掌、そしてさらば!
たぶんまた来るぜ (^^)/


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オレの城!亘理要害(臥牛城) [-2018旅行・地域]

伊達政宗は優秀な家臣団に囲まれ、
筆頭が文武に秀でた片倉小十郎景綱だが、
伊達成実(しげざね)も同じく文武の名将だ。
名作シリーズ「信長の野望」では、
どちらかというと武の猛将イメージだ。

兜の前立がムカデ・毛虫なのは、
それらの前に進むのみの習性のように、
「戦場では一歩も引かん!」
という決意の表れらしい=猛将決定打。

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そんな伊達成実の領地は、
片倉景綱が白石へ移った後の亘理だ。
仙台防衛のために奥州街道を片倉景綱が、
浜街道を伊達成実が配置されたのだろう。
その宮城県亘理町はココ!


その居城の亘理要害は亘理城、臥牛城といい、
現在本丸後には成実を祭った亘理神社がある。

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伊達稙宗の十二男で、
亘理氏に養子に入った亘理元宗が築き、
亘理氏の居城を小堤城(現在の大雄寺付近)から移した。
亘理重宗が天正19年(1591年)涌谷城に移った後、
片倉景綱が城主となった。
慶長7年(1602年)片倉景綱は白石城に移り、
伊達成実が城主となった。
成実は亘理城を改修し、城下町の建設に着手した。
一国一城令の後、亘理城は亘理要害と称された。
幕末まで亘理伊達氏が城主として、
亘理郡と宇多郡の一部を治めた。
明治元年(1868年)戊辰戦争に敗れた、
仙台藩の降伏式はこの地で行われた。
明治3年(1870年)亘理伊達氏の北海道移住、
(現在の伊達市)に伴い、
建物などは払い下げることになった。

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市民憩いの場として遊具の公園が。

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地元の謎の名士の銅像も。

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そして神社へ参拝。
「長年の念願が叶い参上しました」
ペコペコ・パンパン・ペコ <(_ _)>

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社殿背後には土塁跡と忠霊碑などが。

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その先の馬場跡には亘理高校が。

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左右非対称の鳥居だ。

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かつての裏門、詰門に、
現在は道が切られている。

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南側にはかつての内堀が残っている。
それがなぜ牛タン沼と云われるのかは不明。

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その南側に大手門があったとのこと。
目を閉じれば・・・うむ、見えるぞよ d(-_-)

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東側の二の丸跡は大手スーパーが。

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仙台伊達の英雄 成実も片倉景綱も、
かつてこの辺りをウロウロしたことだろう ♪
と妄想するだけで十分満足だ v(^o^)v

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さらば亘理要害!またいつか来るぜ (^^)/


さて次は亘理駅隣接の町立郷土歴史館と、
図書館の悠里館へ行ってみる。


堂々たる外観がマニアにはGood(^^)v
リキ入っているなぁ~!
  → 悠里館の四季風景

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1階の郷土歴史観は亘理町の歴史、風俗と、
伊達家の紹介がピリリと琴線に触れる。
いつものように訪問記念に冊子を、
“ いつものように ” 2冊購入だ。
(いつも見てくれている人はその理由が判るよね?)

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そんな成実が記した『成実記』は内容が深く、
文の教養もひとかどだったことを伝える。
ゆえに『成実記』は伊達政宗の一級資料とか。
館内には複製本も展示されておりますた。

まずは、そんな文武の名将
伊達成実をしかと承った <(_ _)> d(^^)♪

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さて悠里館脇はJR常磐線。
軽く鉄道ロマンスイッチも入る。

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この亘理駅は遙か東京まで続く。
(H28.8月現在一部不通だが)
常磐線の日暮里、北千住駅が、
ふと思い起こされる・・・妄想、瞑想、迷走。
  → 青春18きっぷの旅2013(1) 小国→草加

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当日雨は残念であったが、
しっかりと脳天気で薔薇色であったかも ♪

次は歴代藩主の菩提寺へGO!


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オレの神社!・・・新宮熊野神社 [-2018旅行・地域]

以前より観光ポスターで見かけ、
気になっていた福島県喜多方市の新宮熊野神社

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訪れた人を圧倒する豪壮な寝殿造の「長床」は、
拝殿で平安末期に建立された国指定重要文化財だ。
4本の太い柱が立ち並ぶ正面9間、側面4間の、
壁も窓もない吹き抜けの壮大な建物だ。
また、境内にある約8mの御神木・大イチョウが、
四季折々に長床を彩る光景が見事だ d(^^)

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新宮熊野神社は源頼義が1055(天喜3)年に、
紀州熊野から熊野堂村(旧河東町)に、
勧請創建したのが始まりで、その後1089(寛治3)年に、
この地に遷座して現在まで至っている。
長床は1611(慶長16)年の大地震で倒壊してしまい、
旧材を用いて一回り小さくした長床を再建した。
1974(昭和49)には解体修理が行われ、
出来る限り当初の姿に復元している。
ちなみに1089(寛治3)年に建立されたとすると、
その後1124年に平泉の中尊寺金色堂(岩手県)が、
続いて1160年に白水の阿弥陀堂(いわき市)が建立ゆえに、
東北地方では一番古くなるらしい。


さて、いよいよ “ ついで訪問 ” で機会が!

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受付で拝観料300円を支払い、御朱印もお願いだ。

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鼻息荒く参道を進むにつれ、その偉容の全貌が!

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おお! う~む、う~む、う~む d(^^)
当時は末社300を抱える大勢力のシンボルなるか。

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長床にスリッパが準備されているは、
上がって見学すべしの指示であろう。

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寄せ木のような柱の様子が、
長き歴史を感じさせる。

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裏には本殿が。

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脇には鐘楼と文殊堂が。

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さて本殿。

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本殿は3つの建物より成る。

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早朝ゆえか人気が無く静寂の極み。
そんな風情に浸るが至福の時なのだ d(^^)♪

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そんな歴史の神社ゆえに宝物殿も愉しみだ。
(拝観料は先の300円に込みだ)

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なかなか良かった (^^)v
 → 写真撮影不可なのにこんなページが。

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宝物殿を後に再び参道へ戻るが、
余韻で幾度か背後を振り向くが、やはり絵になる。

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駐車場隅の休憩所で資料等を物色だ。
こういう所にシビれるものがあったりするので、
最後まで集中して悔いの無い訪問を締めくくる。
「シューチュー、シューチュー!」

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こんな観光ポスターを見つけた。
地域の歴史と生活感の融合がイイ。
こういうのが好きだ (*^_^*)

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喜多方はラーメンで、通り道で幾度も訪問するが、
この神社は反対側郊外ゆえに、
なかなか機会がなかったので悲願が叶った感じだ。

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想像どおりに素晴らしい場所であった。
次はやはり錦秋の秋、
また降り始めのうっすらな雪景色も気になる。

そんな愉しみをポケットにしまい込み、
まずはさらばでござる・・・(^^)/


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オレの神社!・・・熊野本宮社 [-2018旅行・地域]

古代エジプトロマンに浸った後に、
帰路R286沿いに由緒ある古社らしきを発見。

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紀州熊野を連想させる「熊野本宮社」とのことだが、
勝手な想像よりも遙かにこぢんまりとして寂しい感じだ。

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紀州には熊野大社の他に高野山もあり、
是非いつかは参拝しなくては!と息巻いている。

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そんな勝手な意気込みでターボブースト気分が、
急激に鎮火していることを感じつつも、
まずは素直に参拝だ。

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他に参拝者の姿を見るもなく、
全く人の気配を感じず寂しいかも。

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社務所らしき窓口にも人影は見当たらず、
御朱印を諦めることに。
(しかし、これがこの後のピンチの遠因となろうとは、
 この時点では全く気付いていない・・・)

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まずはさらば、と東北道に入り帰路につき、
いつもの菅生PAで休憩しようと駐車したとき・・・

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「あれ、財布はどこだ?
 ん? 座席下辺りに落ちたかな?」
モゾモゾと車内を探すが財布は見当たらない!

「ゲーッ! もしや熊野本宮社か、
 その前の博物館等で落としたのか?」 

急激に車内温度が上昇し汗が噴き出す (@@;);;;
現金1万円強は諦めるとしてもカード類はヤバい!
停止手続きは現実は2時間半後に帰宅しないと不可で、
その間に何かあったら大変だ (>_<);;;

そこで即断。
まずは熊野本宮社へ戻り、探すことにする。
高速道なので6km先の村田ICで一旦出て、再び入り、
12km先の仙台南ICで出て、神社へは3km弱の逆戻りだ。

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軽くパニック状態を自覚し、
「こんな時こそ頭はクールに (--#) 」
急ぐ気持ちでクルマをブッ飛ばし、
事故でも起こしたら何にもならない ヽ(゜Д゜)ノ

仙台南IC近くはカーブ続きの下り坂で、
セレナでは怖いと感じたものだが、
この新車はスーッと曲がり、安定感に軽く感動。
「う~む、こんな時こそ頼もしい (--#) 」

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ICを出たR286の交通量に渋滞さを感じるが、
それは焦る気持ちがそうさせているのだろう。
「だから、こんな時こそ頭はクールに (--#) 」

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約50分後に再び参上。
ドキドキしつつ境内を注意深く進む。

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すると拝殿賽銭箱わきに黒い物体が・・・。

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・・・あった! (^_^;)

よくぞ50分間も無事に・・・。
中身もそのままで助かった。

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参拝者が少ないことが幸いであったかも。
しかし、まぁ何と間抜けなことよ。
拝礼時に手に持っていた財布を置き、
わずか10数秒で忘れて置きっ放しにしてしまうとは。

それでも、直後に御朱印をいただければ、
料金支払いで財布の有無に気付けたろうが。

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こんな未遂事件のために、
変に思い出深い参拝になった。合掌 <(_ _)>
新車もご苦労さん <(_ _)>

ゆえに帰宅後に当社について調べると、
本家の紀州熊野三社を当地に模した、
全国的にも珍しい神社のひとつであることを知った。
  → 熊野本宮社 日本すきま漫遊記

これも何かしらの言霊なるか?
次機会に三社を参拝すべき気持ちになっていたりして。

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まずはさらば、思い出の時間。
出口では昭和チックな宿泊施設が二度目のお見送りだ。
また来るからね (^^)/

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しかし、痴呆の始まりか怖い自分だ (ノД`)
まさかファラオの呪いでもないよね・・・。


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オレの寺!・・・常栄寺(ぼたもち寺) [-2018旅行・地域]

「ぼたもち寺」として有名な日蓮宗 常栄寺

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ぼたもち寺の由来は、
日蓮上人がいわゆる龍ノ口法難
(鎌倉幕府へ提出した『立正安国論』により、
 処刑されそうになった出来事)
で刑場へ向かう途中、
この地に住んでいた日蓮上人への信仰が厚い老尼が、
ぼた餅を捧げたというエピソードに基づいている。

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その時の様子。

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そして刑場では、江ノ島方面から光が発せられ、
討手の太刀が折れるなどの怪異現象が起きたため、
処刑は中止となったとのこと。

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ここでも納経印(御朱印)をいただく。
これが凄い!のひと言。

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見開きの納経印で、
「これやこの法難の祖師に萩のもち
 ささげし尼がすみにしところ」
と歌碑の一節が書かれた珍しいもの。

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納経印を書かれたオバちゃんには、
様々に丁寧に解説をいただき、
愉しいひとときを過ごすことが出来た (^^)

そんなことで法難を逃れた=頸がつながった、
と御利益のありそうな頸つなぎ守を購入だ。

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実は『鎌倉でもここだけの販売』
との張り紙が決め手だったりして・・・(^_-)

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境内はまことにこぢんまりとして狭いが、
このような歴史と物語に触れると、
とてつもなく広く大きく感じるものだ。

そんな参拝に無上の喜びを感じるオレ。
虎視眈々と次を目指しまする d(^^)


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オレの神社!・・・銭洗弁財天 宇賀福神社 [-2018旅行・地域]

[ 銭を洗うと数倍になって返ってくる ]
その神社では、いつのころからか、
霊水で銭を洗うと数倍になるという信仰が生まれ、
特に巳の日は賑わっている。
洗った銭は持っているのではなく、
使う事によって「数倍になって返ってくる」のだという。

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そこは古都 鎌倉の、
銭洗弁財天 宇賀福神社だ。


鎌倉は洞窟と隧道が多いが、
この神社参道も珍しい。
「どこだろう、どこだ? ん!! ここ~!?」
と狭い急坂の途中に突如現れる入口。

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隧道、鳥居をくぐり開けた視界は、
何とも賑やかでお土産、休憩所も大盛況。

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その霊泉は右奥の洞窟内にあるようだ。

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まずは蝋燭と線香を購入しお祈り <(_ _)>

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ザルを片手にいよいよ洞窟内へ。

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みんな一生懸命に銭を洗う様子を伺う。

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「数倍になり返ってくる」ならば、
投資も大きい方が良かろうと強欲なオレ (^_-)
しかし1万円では一抹の不安を感じたので、
5千円というところがオレの限界?(>_<)

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まずはしつこく何回も霊泉をかける。
よろしくお願いします <(_ _)>
鬼気迫るギラつく顔であったことだろう・・・。

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ビショビショなので線香の熱で乾かしていたら、
上部に 『ここで乾かすな!』 と、
しっかりと注意書きが貼られてあった。
・・・ダメじゃん (×_×)

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とにかく5千円札を乾かすべく、
大胆にもひらひら♪させながら境内を観て廻る。

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「鎌倉五名水」と呼ばれる風情がイイ!

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さて後述するが、
ここに至るまで大汗をかいたので喉が渇き、
ちょっと気になった「大仏ビール」
隣の「妻ビール」のラベルも気になる (*^_^*)

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「いつか何倍にもお金が・・・」
と未来へ期待満々で気持ち良く退散。

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隧道って愉しいかも。胎内回帰?

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当初は難所ゆえに訪問計画は無かったが、
いざ現地で欲が出て “ 無理して ” も、
参拝できて良かった。

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さてその5千円札だが、
帰郷後、地元GSで軽トラと携行缶への、
ガソリン給油に使用だ。
事業資金として何倍にも戻ってくれれば、
一族子孫は非常に助かる d(^^)

まずはよろしくお願いします <(_ _)>

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さてさて、前述の “ 大汗 ”、‟ 無理して ” だが、
寿福寺海蔵寺を参拝した後に、
化粧坂切通しを経由してやって来たのだ。

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地図で線が繋がっているので、
軽く「行けるだろう」と思って来てみたが・・・。

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何と、普通の舗装道路は途絶え、
つづら折りの土砂と岩の自然道 (゜o゜;!

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こんな感じの急坂が約200mなので、
とてもレンタサイクルで行けるはずもない!
これが化粧坂切通しか (ノД`)

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しかし、ここでビビッて引き返し、
迂回しては時間が掛かりすぎる。
鎌倉訪問なんて、この後もそうそうあるとは思えない、
貴重な今なれば、ここは万難を排し前進あるのみ!

そこでレンタサイクル=クソ重いママチャリを、
押し押し、時には担いで岩場を登る。
「オレはチャレンジャーだ!負けん!」
ここも気合いと根性だが内心は、
「ママチャリでシクロクロスかよ~(>_<);;;
 オレ、何やってんだよぉ~(ToT);;;」

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「あ! あの人自転車押してるぅ~!」
「え-! こんな崖を自転車で来たのぉ!」
老若女性陣の驚きと呆れも何のその (--#);;;

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その頂上の源氏山公園の頼朝公も、
オレの勇猛果敢さを認めたことであろう。

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頼朝の弟の義経は平家との一ノ谷の合戦の際、
平家背後の山の急坂を馬に乗ったまま駆け下りて
後の源氏の勝利への道を開いた。

オレ様は岩場急坂をママチャリを担いで上り、
後に弁財天様の御利益により巨万の富を手に入れ、
一族子孫繁栄の礎となった。

・・・なんて。
良い子は真似しちゃイケないよ。
オレも事前に知っていれば行かなかったし。
でもオレが成功すれば伝説になるかも ♪

相変わらず脳内バラ色 チャンチャン (^_-)☆


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鉄道ムードのカレー店「ナイアガラ」探訪録 [-2018旅行・地域]

名作『こち亀』に出てきそうなマニア感ぶっ飛びの店へ推参!
“ 祐天寺名物 鉄道ムードのカレー店
 カレーステーション ナイアガラ

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「お前は鉄道マニアか?」と聞かれると、
「いちおー撮り鉄ですぅ」と潔く答えられる今日なれば、
行かずばなるまい、と齢50にして開眼 v(`_´)v
大昔からTVや雑誌で超有名で、もちろん既知だ。

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東急東横線祐天寺駅より徒歩数分。
東京メトロ日比谷線直通なので愛宕神社から楽チン。


わくわく感溢れる外観の端には、
雨天の場合の待合スペースが。

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メニューは何れも美味しそう。
(帽子がマニアに盗まれないのかな?)

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テイクアウトということは味に自信の表れと云えるか。

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入口ドアもドキドキものだ。
恐る恐る、こそっと入店したりして。
「このドアも収集品かぁ~(^^) 」

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店内はカウンター3席、4人ボックス3席。
何よりもマニアックな雰囲気に圧倒される (^^);;;

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とりあえずチーズカレー中辛(790円)を。
この後上野で呑み会が無ければ、
カツカレーとビールであったのだが・・・。
『超特急(激辛)乗換券300円』などの拘りがイイ。

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カウンター横の窓口とかもイイですね d(^^)

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注目はコレコレ!
注文品はこのレールを走る汽車が運んできてくれる。

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つーか、店内は何れもレアなお宝?だらけ。
駅長(店主)の並々ならぬ熱意がビンビン伝わってくる。

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「E10」プレートって凄く貴重品らしい。
日本で数台しか製作されなかった車両のレア品とかなんとか。
(オレはよく判らないけどね (^_-) )

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ちょっと気になるトイレも視察。
『停車中は使用しないでください』
うんうん、判るよソレ。
確か中学生の頃に私は目撃した、
悪夢を今泉駅JR米坂線フラワー長井線)で・・・。

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ドキドキの変な期待を裏切り、
普通の近代的(に感じてしまう)でした。
ここは、あの頃の古い和式で、
軽くグラグラと揺れて欲しいかも。

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さてキョロキョロと忙しく時間を忘れてしまう中で、
店員のオネーさんの声が店内に鳴り響く。
「チーズカレー出発しま~す♪」(だったと思う)

おおっ!来た来た \(^^)/

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向こう席のちびっ子も嬉しそうに歓声だ。

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少年オヤジよろしく軽く感動だ 。゜(゜´Д`゜)゜。。。。
カレーを受け取るとオネーさんが、
「回送しま~す♪」
と汽車は後退し戻って行く。
「この拘りはまさしくプロの仕事 (・∀・)イイ!! 」

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みんなもこの演出を誰かの動画で確認してネ。


カレーは普通に美味い。

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ラッキョウと福神漬けの入れ物も、
碓氷峠 横川駅名物『峠の釜めし おぎのや』品だ。

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食べ終わると、
特製入場券とスタンプが記念にいただける。
マニア心をくすぐる硬券だ (;´Д`)スバラスィ

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いやぁ、ついに行っちゃいましたね。
遊び心に溢れる空間に大満足 (^^ゞ
極めた趣味の世界を、
判る人には分かち合いたいというメッセージを、
しっかりと受け止めさせていただきましたよ d(^^)~♪
とにかく愉しい気持ちにさせられた[ハート]

「なぜカレーなのかな?」との疑問も、
Webサイトの『駅長のご挨拶』で解けた。
ちょっとグッ、とくる、その想いもまたヨシ!(^^)/

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みなさまも話のネタに訪問してみては?
子どもはもちろん喜ぶだろうし、
大人も童心に返り、リフレッシュされるかもよ (^_-)☆


その後は、もちろん祐天寺を参拝。
(途中でラグビー部が強かった目黒高校を見っけ♪)

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また日比谷線一本で上野へ行ければ便利だが、
お腹いっぱいでの参戦・・・これもまた思い出 (*^_^*)


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